Bリーグ史上初の“学生兼コーチ”は七尾出身!飴谷健士朗さんのお仕事。

皆さんこんにちは(^^)

本格的に冬の到来ですが、冬といえばバスケットシーズン!
ここ石川県にもプロバスケットボールチーム「金沢武士団(カナザワサムライズ)」が発足して3年目。

このチームでアシスタントコーチをつとめる飴谷健士朗(アメタニケンシロウ)さんが七尾のご出身ということで、さっそくインタビューさせて頂きました!

▲インタビューは試合後の七尾総合市民体育館にて。

―アシスタントコーチって?

バスケットでは通常チームに一人ヘッドコーチがいます。その下に位置するのがアシスタントコーチです。
試合前にはコーチ陣で相手チームの分析をし、試合中に起こったトラブルはその場でクリアにし、試合後にも分析を行うのが主なお仕事。

▲飴谷コーチも毎試合ベンチから試合を分析しています。(左は堀田剛司ヘッドコーチ)

なんだか「SLAM DUNK」の安西先生が山王戦の前日に戦術を考えながらロビーで居眠りをしていたシーンを思い出しますが、飴谷さんは「朝まで戦術を考えることもありますけど、好きなことなんで全然苦じゃないです!」と話してくれました。

“分析”というとすごく理系チックですが…伺ってみると、飴谷さんは「社会と数学が得意です。でも国語は苦手…。」とのことでした。笑

―今の仕事をしてて嬉しいこと!

「何よりも試合で勝つことが一番嬉しいです!」

そして、
・自分の提案をヘッドコーチが受け入れてくれ、それがズバリはまったとき。
・石川県の皆さんが会場に来てくれて、こんな自分を受け入れてくれてるんだと感じたとき。石川県の皆さんは本当にあたたかいです!
といったことも挙げてくださいました。

▲ブースター(ファン)の皆さんと試合後にハイタッチ。

昨年のB3リーグからB2リーグへ昇格し、更にB1リーグを目指すチームで、飴谷さんは日々奮闘されています!

―アシスタントコーチに就任するまで。

「もともとは水泳や空手もしていたんですが、友だちに誘われて小学校4年生のときに地元のミニバスチーム(七尾ブルドッグ)に入りました。そしたらあっという間にバスケットにハマって。」

中学校でももちろんバスケット部に入部。
そして受験生となった飴谷さんのもとには金沢高校からの特待生のお話や県外の高校への進学のお話なども出始めます。
自分ひとりで決められる話ではなく、親や先生に相談したり反対されたりしながら、特待生のお話を断り地元の七尾高校を選ぶことに。

能登地方を中心に、中には加賀地方からも、飴谷さんが七尾高校に行くならと進学先を決める選手もいたとか。
それほどに飴谷さんは影響力を持つ選手でした!

ご出身の東部中学校には今でも飴谷さんたちの代のパネルが2枚飾られています。

ところが、飴谷さんだけうっかり受験にすべってしまうという出来事が…

▲「周りの人もみんな知ってるんで、これもどんどん書いちゃってください!」

そんなこともありながら、最終的に入学したのが金沢高校。
ここで飴谷さんのバスケット人生が大きく変わります!

金沢高校はマネージャーを「6人目の選手」と表現するほど大切にしている学校。石川県の男子バスケットボール界を長らく引っ張っている学校でもあります。
1年生から試合に出ていた飴谷さんですが2年生の終わり頃に怪我による手術を受けています。

そして、東海大学の試合を観に行ってスタッフの方々の働きを見て感銘をうけたことで、スタッフという道を志し始めます。

「あるとき、自分と、木田(※)と、もう一人の選手の中からマネージャーを選ぶことになりました。そのときにはスタッフとして関わるのもいいなと思っていたので、自分がやることに決めました。」
(※木田貴明選手…今月から金沢武士団に合流した選手で飴谷さんの高校時代の同級生。現在は青山学院大学4年生。)

ここから、スタッフとして関わるバスケット人生が始まりました。

進学先も東海大学に決め、そこではアナリストやコーチ業を経験。この経験が今とても活きているそうです。

ただ、この時点でも高校の“恩師”の影響で将来は学校の先生になりたかったという飴谷さん。
地元のミニバスの練習に顔を出していたら、そこの保護者の方の人脈で、まさかのプロバスケットボールチームとの縁がつながりました。お話を頂いてから決まるまでも早く、こうしてBリーグ初の「学生兼コーチ」が誕生しました!

▲試合中も選手の意見を聞いてその場で戦術を修正します。

―武器は映像。偉大なコーチになりたい。

もちろん学生として大変なこともあるそうです。
チームは石川県を拠点としていますが、飴谷さんが通う大学があるのは神奈川県。
今も火曜日と水曜日は大学に行かなくてはならず、更に週末はチームに帯同して全国あちこちを飛び回るというハードな毎日。

そして、ときにはプロとしてのキャリアが自分よりも長い選手に指示を出さなくてはいけません。
そんなときに飴谷さんが使うのが映像。プレーの映像を流しながら論理的に説明することで説得力が生まれ、選手にも納得してもらえるそうです。

▲試合中は映像はないものの積極的に選手に話しかけていらっしゃいます。
▲コートに入る選手を送り出す飴谷さん。

こうしてコーチとしての道を着実に歩んでいる飴谷さんへ将来の夢を聞いてみました。
「ゆくゆくは偉大なコーチになりたいです。せっかくこの世界に入るチャンスをもらえたので、やれるだけやりたい。
今バスケットが一番さかんな都道府県はと聞かれたら多くの人が秋田県と答えると思うけど、いつかそれを石川県にしたいと思っています!」

とのことでした。

そして、今はバスケットで生活していくということは一部の人に限られた夢の様な話ですが、「いつかそれが当たり前になってほしい」という大きな夢も!

―最後に。

このインタビューの翌週は、試合日程の関係で石川→神奈川→石川→山形→群馬→神奈川→群馬→神奈川→石川と大変な移動だった飴谷さん。

更に「実は今、家がないんです。」と衝撃の一言がΣ(゚□゚ )

▲普通の人ならなかなかないようなエピソードをさらっと話してくださいました。

前述の通りあちこちを飛び回るような生活をしている飴谷さんは既に神奈川県のアパートは引き払い済み。そのうえ実家には7年間も帰っていないそうです。その理由は…。

「自分の母親は一度言ったことは曲げない人なんです。

高校時代マネージャーになる選択をしたときに反対されて、そのとき“ウィンターカップで優勝したら実家に入れてあげる”と言われたんです。が、優勝できなくて。

それなら大学で1位になろうと思ったんですがインカレでも最高2位でした。なので七尾に帰ってきてもいつも祖母の家に泊まっています。
次は金沢武士団がB2リーグで優勝するまで、実家には入れないと思います。笑」

この親子の約束(?)が7年間も守られているところに、飴谷家の意志の強さを感じました。
そんな性格は遺伝していて、高校時代の寮生活では木田選手とよく衝突したこともあったそうです。
インタビュー中はとても優しく面白い飴谷さんでしたがそんな一面もあるんですね!

▲コートサイドから選手たちへ指示や状況を伝えます。

急なインタビューだったにも関わらず、ご自分のことを迷いなくお話してくださいました。これまでの自分の道に自信を持っていて、且つこれからの目標をしっかりと持たれているからこそだと思います。

3年前に石川県に誕生したプロバスケットボールチームが飴谷さんの将来の夢をつなげたように、今後も金沢武士団に関わる沢山の人の夢が広げられていくんだと思います。楽しみですね!

皆さんもぜひ、金沢武士団のバスケットボールを観に会場へ足をお運びください!

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