夢は“競歩のオリンピック選手を育てること”!輪島市職員・谷内雄亮さんのお話。

皆さんこんにちは。

突然ですが、皆さん競歩はご存知ですか?
日本人が世界で活躍する種目の1つですが、経験したことがあるという人はきっと少ないですよね。

今回はグルメレポではなく、久しぶりに能登でご活躍されている方のインタビューをお届けします!

 

ご登場いただくのは、50km競歩で日本歴代8位の記録を持ち現在は輪島市職員として選手をご指導されている谷内雄亮(やちゆうすけ)さん
(*順位は当時のもの)

スポーツ観戦が好きな私としてはとてもわくわくな企画です!

奥能登の地で競歩という種目を仕事にしている谷内さんに、競歩を始めたきっかけから現在の夢までお話を伺いました!

競歩って?

「どちらかの足が必ず地面に接地していなければならない」というルールは多くの方がご存知だと思いますが、「接地した脚は、地面と垂直になるまで、膝を伸ばさなければならない」というルールもあります。

要するに、とても難しい競技なのです。

ですが、本当にきれいなフォームで歩く選手を見ると、あまりになめらかな動きに感動する競技でもあります!

そして谷内さんの50km競歩の自己ベストはなんと3時間52分37!!(輪島で記録)

42.195km(フルマラソン)に換算すると3時間ほどのペースです。

ピンとこない方は、お近くにランニングが趣味のお友達がいればぜひ聞いてみてください!マラソン3時間という記録がどれほど速いのかを!

これを走るのではなく歩きで達成してしまうのです!

身体への負担も大きい競技なので、フォームづくりがとても大切です。

競歩を始めたきっかけは?

「中学生の頃は特に目立つ成績ではなかったんですけど走るのは好きで、高校でも陸上部に入ろうと思っていました。」という谷内さん。

顧問の先生が「高校でも陸上競技を続けていればお前はのびる!」と太鼓判を押してくれて、尾山台高校へスポーツ推薦で入学されました。
現在は輪島市にお住まいですが、もともと出身は金沢の方だそうです。

競歩と出会ったのは長距離の練習中にケガをしてしまったことがきっかけとのこと。
まずはリハビリとして始めた競歩ですが、初めて見た県大会に感化され、2年生から本格的に専門種目としてスタート。

1つ上の学年に競歩で全国大会に出ている先輩がいて、「自分も全国で上位で戦いたい!」という想いがあったそうです。

指導者になろうと思ったのはいつ?

国士舘大学へも推薦で進み、社会人になってからは世界陸上にも出場された谷内さん!
そんな谷内さんが指導する側になろうと思ったきっかけも聞いてみました。

「もともと将来的には体育の先生になりたいと、小学生の頃からずっと思っていました。それで大学も体育に特化したところを選んだし、“教える人になりたい”というのは昔からの憧れというか夢でした。

競歩がすごく好きで、大学に入ってからもずっと好きで、ずっと競歩に携わって生きていけたら楽しいだろうなと。

それでまずは実業団(佐川急便)に入って競歩を続けて、引退してから1年間小学校の講師として働いて、そして今の職場(輪島市役所)に来ました。」

輪島市は元々大きな大会が開かれるなど、まちづくりの一環として競歩に力を入れている地域。
そんな輪島市から“競歩の選手の育成に力を入れたい”ということで谷内さんにお声がかかったそうです。

「“スポーツでまちづくり”をしていこうという市の姿勢に共感して、こんないい話はないなと。
輪島市の学生たちに競歩を教えたり、今回のような合宿を誘致したり、市役所職員(生涯学習課 スポーツ推進室)という立場で競歩に携わっています。

もちろん職員として事務作業などもありますが、競歩を通した魅力的なまちづくりをすることが主な仕事です。」

競歩の魅力を教えてください!

そんな谷内さんにズバリ聞いてみました!
ランニングブームで“走る楽しさ”を知っている人は増えていると思いますが、“歩くことの魅力”とは??

「競歩はやはりルールがあるので、ただ速くゴールすればいいというものではなくて。
速く歩くためにはすごく高度な技術が必要で、キレイに歩くことが速く歩くことにつながってくるし、フォームによって失格や順位の変動もある。

そういった意味で色々なことを考えなくてはならない競技。そこが難しくもあり、面白くもあります。

教える側として言うと、初めて競歩をする子たちに教えるときは、皆をどう動かしていくか、動きをどう伝えればいいのかを考えるのが難しい。

動きの一つ一つを指示しすぎると余計にこんがらがって分からなくなるだろうから、“簡単に分かりやすく”を心がけています。

実は小学校の講師をやっていた1年間がここで活きていて。

分かりやすく教えるっていうこともそうだし、“今日ここがいいよ”とか、“昨日ここができなかったけど今日はできてるね”みたいに、子供はほめてあげると自信になって伸びてくる。

そういった、ほめたり声をかけたりっていう教え方は講師時代に自然と培いました。

ときには明るく、ときには丁寧で落ち着いた谷内さんの指導。

少しずつ形になってきてキレイに歩けるようになっていくのを見ているのは嬉しいし、キレイに歩ければタイムも良くなっていくから、自己ベストを更新できたりとかのそういう喜びを分かち合える。

それが、教える側としての競歩の楽しさですね。」

谷内さんの夢は?

インタビューは輪島マリンタウン競技場での合宿にて。

「輪島の中高生たちだったり、日本陸連の合宿だったり、幅広く指導させてもらっていているんですけど、自分が教えた選手からオリンピック選手が出てくれること。これが夢です。」

と答えてくださった谷内さん。

奥能登の地に、こんなに大きくて素敵な夢を持った方がいらっしゃいました

体育の先生になりたかったというお話をしてくださった際に

「小学校6年生のときに石川県で国体が開催されて、当時の体育の先生が100mで出場していて、皆で応援に行ったことがあって。その姿を見て、自分もあんな先生になりたいなと思いました。」

とも語られていました。

教え子をオリンピック選手に育てたいという夢も、

小学生の頃に憧れた先生のようになりたいという夢も、

現在進行中でどんどん形になっているところなんだろうなと感じました!

3月に行われた第42回全日本競歩能美大会でアナウンスをする谷内さん。

石川県は競歩がとても盛んな地域です。
少しでも興味を持って頂けたら、ぜひ一度大会を観に来てみてください!
競歩を愛する谷内さんがどこかにいるかもしれません(^^)

取材をさせて頂き、ありがとうございました!